- 2008年09月20日
- 【文】作者の個人的な話
東京オペラシティアートギャラリーで、今、
「トレース・エレメンツ 日豪の写真メディアにおける精神と記憶」
という展示をやっていて、観に行きました。
古橋悌二(フルハシテイジ)さんの「LOVERSー永遠の恋人たち」
というヴィデオ・インスタレーション作品が観たくて
行ったんですが、やっぱり恐ろしかったです。
この作品、初見じゃないのですが、
一人っきりで体感すると、伝わるものが違いますね。
私が行った時は、ギャラリー自体が空いていて、
お客さんはすごく少なかった。
そして、この作品の部屋には、
入り口付近に立つ警備のおじさんと自分しかいない。
「LOVERSー永遠の恋人たち」は、暗い真四角の部屋の中、
四方の壁にプロジェクターで投影される、映像作品。
裸の男女が走ってきて、すれ違ったり重なり合ったりしている。
「愛は情報に還元できるか?」
と、現代の情報化社会における愛の可能性を
問いかけている作品らしいです。
観る私。それを監視するおじさん。
「愛は情報に還元できるか?」
他には、ミュージシャンのミュージック・クリップから音を抜いて、
映像に合わせた別の音を吹き替えた作品など。
こういうICCとかにも並ぶようなメディアアートの展示を観ると
いつも疑問に思うのですが、なぜに揃いも揃ってツーンとすまして、
客を突き放したような雰囲気にもっていくのか。
コミュニケーションとかいいつつ、むしろ拒絶されてる。
(メディア芸術祭とかで並ぶ楽しげな作品は別。岩井俊雄さんも別。)
お客は「見にきてくれた人」じゃなく、「鑑賞者」あるいは「対象」、
まずは冷たいサウンド流して怖がらせるか、静寂に追い込んだ中で、
作品の仕掛けが「知覚」できるか試してくる。
作品によっては、「観察」もされる。
実験台みたい。
「な〜んちゃって(笑)」とか無い世界。
毎度微妙な気分になる。
が、この世界がなんとなく気になって、機会を見つけると、
確かめに行ってしまう。
それでやっぱり、実験台になったような気分になる。
現代美術とは、作り手の意識が違うんじゃないかなぁと思う。
私は人を人として見てる現代美術のほうが好きです…。
でも、「LOVERSー永遠の恋人たち」は凄いし、
突き放されながらみるのもまた一興…ということもある…。
自分の場合、M的感覚を掘り起こして観ないと、なかなか楽しめない。
(追記)
「トレース・エレメンツ」という展示タイトルについて。
「トレース」は「痕跡」という意味で、
写真などのメディアの痕跡を残すという性質を指している。
と同時に、公式サイトのテキストを引用すると、
“生物学における「トレース・エレメンツ」は、
「微量元素」という、私たちの体内に保持されている微量ながらも
生命活動に不可欠な元素を意味します。”
だそうで、その意味ともかけてるらしい。
「微量ながらも生命活動に不可欠な元素」。
そういったものは、創作活動の中にもありそうですね。
個人個人によるのだろうか、共通した何かだろうか…。
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